音声学

音韻論 (phonology)は、言語の音に関する心理的特性(psychological properties)を扱い、音声学 (phonetics)は、言語の音に関する物理的特性(physical properties)を扱うとされている。 

しかし、音韻論と音声学の境界は必ずしも明確なものではない。例えば、母音と子音の区別の問題は、従来は音声学の問題と考えられてきたが、現在では、音韻論の問題ではないかと考えられている。

音韻論の議論には、音声学の基本的な知識が不可欠なので、次節で調音音声学の基礎的事項を概観する。

音声学の基礎

音声学は、以下の3分野に分けられる。

調音音声学 (articulatory phonetics)
言語音を発する側に関する音声学
聴覚音声学 (auditory phonetics)
言語音を聞き取る側に関する音声学
音響音声学 (acoustic phonetics)
言語音を発する側と聞き取る側の間に関する音声学

調音音声学では、調音(articulation)に基づく言語音の分類を行う。

まず、言語音を子音と母音に大別する。

子音 (consonant)
口腔内で呼気の流れがある程度妨げられて発せれられる言語音
母音 (vowel)
口腔内で呼気の流れがあまり妨げられないで発せれられる言語音

子音

調音点(point of articulation)、および、調音法(manner of articulation)に基づいて子音を分類する。

調音点

調音点(point of articulation)は、肺から唇までの発声器官(phonetic organ)の中で、音の区別に大きく係る部分である。

  1. 唇(lips)
  2. 歯(teeth)
  3. 歯茎(alveolar ridge)
  4. 硬口蓋(hard palate)
  5. 軟口蓋(velum, soft palate)
  6. 口蓋垂(uvula)
  7. 咽頭(pharynx)
  8. 喉頭(larynx)
  9. 声門(glottis)
  10. 声帯(vocal cord)
  11. 鼻腔(nasal cavity)
  12. 口腔(oral cavity)
  13. 舌(tongue)

これらの調音点に基づいて以下のような子音の分類を行う。

両唇音(Bilabial)
上下の唇が関与する音
唇歯音(Labio-dental)
下唇と上の歯が関与する音
歯間音(Interdental)
舌先と上の歯先が関与する音
歯音(Dental)
舌先と上の歯が関与する音
歯茎音(Alveolar)
舌先と上の歯茎が関与する音
歯茎硬口蓋音(Palato-alveolar)
前舌と上の歯茎と硬口蓋の境界が関与する音
硬口蓋音(Palatal)
前舌と硬口蓋が関与する音
軟口蓋音(Velar)
後舌と軟口蓋が関与する音
口蓋垂音(Uvular)
後舌と口蓋垂が関与する音
咽頭音(Pharyngeal)
舌根と咽頭壁が関与する音
声門音(Glottal)
声帯が関与する音

調音法

調音法(manner of articulation)による子音の区別は、調音点において呼気がどのように流れるか(あるいは、流れないか)により、以下のように分類される。

閉鎖音、破裂音(Stop, Plosive)
口腔内の閉鎖により、呼気の流れを一旦止めることにより産み出される音
入破音(Implosive)
空気を吸い込むことによって産み出される音
摩擦音(Fricative)
口腔内に狭い隙間をつくり、その間を通る呼気の摩擦により産み出される音
鼻音(Nasal)
鼻腔から呼気を出すことによって産み出される音
側面接近音(Lateral Approximant)
舌の側面にやや広い隙間を作り、そこから呼気を出すことによって産み出される音
中央接近音(Central Approximant)
舌の中央部にやや広い隙間を作り、そこから呼気を出すことによって産み出される音
有声音(Voiced)
調音の際に声帯の振動を伴う音
無声音(Voiceless)
調音の際に声帯の振動を伴わない音

調音点と調音法に基づいて、英語や日本語等の主要な子音を配置したのが下の図である。(1)

子音の分類
両唇音 唇歯音 歯間音 歯音・歯茎音 歯茎硬口蓋音 硬口蓋音 軟口蓋音 口蓋垂音 咽頭音 声門音
閉鎖音(無声)  p       t   č (tʃ)   c   k   q     
閉鎖音(有声)  b       d   ǰ (dʒ)   ɟ   g   G     ʔ 
入破音  ɓ   ɗ   ɠ 
摩擦音(無声)  ϕ   f   θ   s   š (ʃ)   ɕ   x   χ   ħ 
摩擦音(有声)  β   v   ð   z   ž (ʒ)   ʑ   γ   ʁ   ʕ 
鼻音  m   ɱ   n   ň   ɲ   ŋ   N 
側面接近音  l   Ǐ   ʎ 
中央接近音  r   y   w   h 
  1. ここで使用する発音記号は、国際音声字母(IPA: International Phonetic Alphabet)に従ったものである。現在の主要なコンピュータが採用しているユニコード(unicode)という文字コード上の、基本ラテン文字、ラテン1補助、ラテン文字拡張、IPA拡張などを使用することによって、ワープロなどでこのような発音記号のほとんどを表示する事が出来る。

母音

母音の分類には、次の4つの要因が関与する。

  1. 舌のどの部分が大きく関与するか:前舌(front)、中舌(central)、後舌(back)
  2. 舌の高さ:高舌・口の開きが狭い(high)、中間(mid)、低舌・口の開きが広い(low)
  3. 唇の円め:円唇(rounded)、非円唇(unrounded)
  4. 舌の緊張の度合い:緊張音・張り母音(tense)、弛緩音・緩み母音(lax)

これら4つに基づいて、英語や日本語等の主要な母音を配置したのが下の図である。(太字は円唇(rounded)の性質を持つ母音、括弧でくくられているものは弛緩音・緩み母音(lax)を表す。)

母音の分類
前舌(front) 中舌(central) 後舌(back)
高舌(high)  i (I) ü   ɨ (ə)   ɯ u (U) 
中間(mid)  e (ɛ) ö   ɜ (ʌ)   o ɔ 
低舌(low)  æ   a (ɐ)   ɒ 

ここでは、母音と子音を区別して示した来たが、その区別は自明のものではない。

例えば、子音として挙げた[y][w]と母音として挙げた[i][u]は実質的に同じものと考えて良い。

では、母音と子音の違いは何か?これは音声学で扱われる問題か、それとも、音韻論で扱われる問題なのか?

この問題を考えるためには、音節という概念の理解が必要であるので、音節を考える際に再度取り上げる。

五十音図の謎

おなじみの五十音図(五十音表)は何故、次のような並びになっているのだろうか?

五十音図(五十音表)
 わ (wa)   ら (ra)   や (ya)   ま (ma)   は (ha)   な (na)   た (ta)   さ (sa)   か (ka)   あ  (a) 
 ゐ (wi)   り (ri)     (yi)   み (mi)   ひ (hi)   に (ni)   ち (ti)   し (si)   き (ki)   い  (i) 
   (wu)   る (ru)   ゆ (yu)   む (mu)   ふ (hu)   ぬ (nu)   つ (tu)   す (su)   く (ku)   う  (u) 
 ゑ (we)   れ (re)     (ye)   め (me)   へ (he)   ね (ne)   て (te)   せ (se)   け (ke)   え  (a) 
 ん  (n)   を (wo)   ろ (ro)   よ (yo)   も (mo)   ほ (ho)   の (no)   と (to)   そ (so)   こ (ko)   お  (o) 

その答えは、これまで見てきたことの中にある。この表を、上の子音の表と照らし合わせて見よう。そうするとかなり共通する点が見えてくる。

「あ」行の音は、いわゆる母音であるが、それぞれの音を単独で発音する場合、喉の奥の声門の開閉が生じる。したがって、これは声門閉鎖音(Glottal Stop)であることになり、声門が大きく関与する。

「か」行の音は、軟口蓋の閉鎖音であるから、軟口蓋が大きく関与する。

「さ」行の音は、歯茎の摩擦音であるから、歯茎が大きく関与する。

「た」行の音は、歯茎の閉鎖音であるから、歯茎が大きく関与する。

「な」行の音は、歯茎の鼻音であるから、歯茎が大きく関与する。

このように、「あかさなたな」の順番は、その発音に大きく係る部分に従って、喉の奥から口の前の方という配列になっている。(2)

  1. この配列は、古代インドの音声研究によって生み出されたもので、日本には、仏教と共に入って来た。「あ」から始まって「ん」で終わるこの配列が仏教と密接に結びついていることは、寺院や神社の入り口に対になって置かれている「狛犬」や「仁王像」の口の形がそれぞれ、「あ」と「ん」の形をしている事からも伺える。この「あ」と「ん」の対を「阿吽(あうん)」という。

    「あかさなたな」の並びがインド起源であることの傍証として、現在のインドの文字であるデーバナーガリー文字(Devanagari)の配列とその音価を以下に示しておく。(現在、unicode上で単独で表示できない文字は省き、音価の細かい相違も省いているが、基本的な配列はunicodeにおける配列を踏襲している。)

    デーバナーガリー文字とその音価
     अ  (a)  आ (aa)  इ  (i)  ई  (ii)  उ  (u)  ऊ (uu)  ऋ  (ṛ)  ऌ  (ḷ)  ऍ  (e)  ऎ (ĕ)  ए  (e)  ऐ  (ai)  ऑ  (o)  ऒ  (ŏ)
     ओ (o)  औ (au)  क (ka)  ख (kha)  ग (ga)  घ (gha)  ङ (nga)  च (ca)  छ (cha)  ज (ja)  झ (jha)  ञ (nya)  ट (tta)  ठ (ttha)
     ड (dda)  ढ (ddha)  ण (nna)  त (ta)  थ (tha)  द (da)  ध (dha)  न (na)  ऩ (nnna)  प (pa)  फ (pha)  ब (ba)  भ (bha)  म (ma)
     य (ya)  र  (ra)  ऱ (rra)  ल (la)  ळ (lla)  ऴ (llla)  व (va)  श (sha)  ष (ssa)  स (sa)  ह (ha)